FC2ブログ

40代では パート3

90年代に入りますとインテルの業績はパソコンの出荷が世界で増えるにしたがい売り上げも上がってきました。
しかし日本ではバブルが弾けた後の経済の落ち込みによりパソコンの出荷が思ったほど伸びず、アメリカ、ヨーロッパに比べて当初は低調で推移したのです。

それでも90年代中頃以降になりますと日本でもメーカーからのパソコン出荷が大幅に増えてインテルジャパンの売り上げに貢献しました。

90年代はインテルにとって一番輝いた10年と言えるでしょう。
とにかくインテル全体での業績が年率二桁の伸びを続けてそれに従い株価もうなぎ昇りでした。
二年に一回は株を分割して株主に還元しました。それでもすぐに分割前の株価に戻るのです。
日本では年によっては年間30%近くの売り上げが増えたこともあります。

さて会社の成績が好調のなか、私は97年に病院で腎臓の細胞を採取して病理検査をすることになりました。
どの程度腎臓の働きが落ちているかを検証するためです。
入院をしまして背中から太い管をまず腎臓近くまで刺し、それから細く先が釣り針のようになった針金を入れて腎臓の細胞を引っ掛けるのです。
身体の中で腎臓が引っ張られる感覚がありました。
結局医師の未熟さで細胞が採取されなくて失敗しました
痛い思いをしたのにって感じです。

同じ検査を今年(2010年)の1月25日に東京女子医大病院で行いましたが、医学の進歩は素晴らしいです。
局部麻酔をしましたが本当に簡単に(ほとんど痛みがなく)新しく移植した腎臓から3か所の細胞を採取しました。 
細い棒の先に細胞を切り取る鋏のようなものが付いていて、超音波の画像を見ながら正確に採取します。
当時の痛い思いをして失敗したことを担当の先生に話しましたら、その当時はまだ医者になってなくどのように細胞を採取したか知らないとのことでした。

さてインテルでは毎年1月に全世界のセールス、マーケティングを対象とする大規模な セールスコンファレンスをアメリカで開きます。

数千人規模の人たちが集まってきます。
ホテルは3~4か所のホテルに分散して泊まりますが、とにかく初日の夜開かれるオープニングは数千人の出席者が一同に集まりますので凄い迫力でした。 当時はグローブ社長のオープニング スピーチで始まりました。
勿論日本からも100人以上の人が出席します。

すべてはこの会議でその年の会社全体の目標、戦略、各事業本部からの新製品の紹介及び事業部の戦略等の説明があります。  何百にも分かれている分科会が用意されており、世界から来ている出席者は必ずその関係する分野での分科会に出席する必要があります。関係する事業部がすべて資料を用意し説明をします。

一週間のコンファレンスですから同時に世界各国の人達との文化交流会も盛んにあります。
水曜の午後はレクレーションの時間が組まれておりまして、各自自由にりラックス出来る時間です。
すべての社員が会社全体の目標及び戦略を理解し意思統一をするインテルにおいて最大のイベントです。
サンフランシスコ、アリゾナ、ロス、ラスベガス等で開催されました。

そして私はついに1999年1月のセールスコンファレンスに体調すぐれず欠席することになりました。


プロフィール

傳田 信行(Nobuyuki Denda)

Author:傳田 信行(Nobuyuki Denda)
1971年インテル日本法人(インテルコーポレーション日本支社)入社、1976年インテルジャパン株式会社が設立、インテルジャパンの社員第一号となる。
1993年アメリカ本社副社長に就任し兼務となる。
1997年、インテル株式会社代表取締役社長に就任。
2001年3月代表取締役会長を退任。
2001年7月傳田アソシエイツ株式会社設立、代表取締役に就任。

30年に及ぶインテルでの経験をもとにベンチャー育成及び投資、コンサルティング活動、また学生や企業幹部に向けて「ビジネスの起こし方」、「人生の生き方」、「リーダーシップ」、「インテルの経営手法」といった講義・ビジネスセミナーも多数行い、現在に至る。

カレンダー
09 | 2019/10 | 11
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
JST
最新記事
RSSリンクの表示
検索フォーム
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

メールフォーム
ブログの感想、傳田信行へのメッセージなど、こちらからお願い致します。

お名前:
メール:
件名:
本文:

リンク