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最大の難手術を終える

右腎臓の摘出手術が終わって間もない2008年6月22日に今度は
左腎臓摘出手術のため再度女子医大病院に入院しました。

摘出手術は24日に行われました。

入院してから連日検査を行い、また麻酔科の医師との打ち合わせもあって
前回からは別の麻酔薬を使うことで了解を取りました。
当日朝8時30分に看護師がベッドルームに迎えに来て
手術室のある2階までエレベータで降り手術室に入りました。

そこで医師から手術の再確認をしていよいよ手術台に横たわり看護師が
酸素マスクを掛け麻酔を始めました。

そこまでしか覚えておりません。

手術が終わって起こされたのが夜中の12時を回っていたことを知らされました。
朝から夜中まで手術が続いていたことになります。

教授から声を掛けられました。
「傳田さん、やっと終わったよ、大変な手術になってしまったからね」
頭の中は混乱していて良く理解出来ませんでしたが、教授からは
内臓の癒着がひどく一枚ずつ剥がしていくために時間が思った以上
かかったこと、また出血がひどくほとんど輸血に頼らざるを得ない状況
だったことを告げられました。

そのまま直ぐICUに運ばれましたがその時に少し身内の人達の顔が
見えましたが私自身とても疲れていて会話も出来ませんでした。

そこで直ぐ透析を始めました。

体からは凄い数(6本位?)のチュウブが出ていてさらに高熱(40度)で
、喉もカラカラに乾き血圧も200近い状態のまま透析を開始したのです。

とにかく高熱のため脳が勝手に暴走していて頭の中にスクリーンがあって
まるで映画を観ているような状態でいろいろな場面が出てきました。
フランスのお城と騎士まで出てきたり、場面がパッパと切り変わり
新しい映像が出てきました。

そんな状態ですから眠れるわけありません。

さらに同じ状態で長時間ベッドに横たわっていますから辛くて、辛くて
さらに時間の経過と共に麻酔が切れて傷口が痛みだしますのでずっと
麻酔薬の点滴を行っていました。

さらに驚くことがありました。

後で私の身内の者が別の医師から聞いた話しでは、あまりにも体内での癒着と
出血がひどかったため、教授から手術開始3時間後に
「このまま手術の続行は無理なので止めよう」
という結論になって一度傷口を縫合してしまったと聞かされました。

その後どれ程の時間が立ったか解りませんが、しかしこれで手術を止めてしまったら
傳田さんの移植手術は出来なくなることを懸念した教授及び他の医師達から、
もう一回手術を再開しようと意志が統一され再度手術台に戻ったとのことでした。

私はまったく意識なくそのままずっと長時間手術台にいたことになります。

身内の者も朝早くから手術室に入ったのに午後8時過ぎても、10時過ぎても
手術が終わったと言う連絡がないため大変心配したそうです。

さらに手術が終わってICUに運ばれる途中の私を見た身内が絶句したのです。

顔が凄く腫れてまるで風船のように、手はグローブのような状態で運ばれて行った
状態を見たのでした。

24日に手術をし、その夜中に透析をしましたが翌25日、26日もICUで
透析をして27日に無事9階903号室に戻りました。

その時の体温38度、血圧は上が190でした。

次回に続きます。
プロフィール

傳田 信行(Nobuyuki Denda)

Author:傳田 信行(Nobuyuki Denda)
1971年インテル日本法人(インテルコーポレーション日本支社)入社、1976年インテルジャパン株式会社が設立、インテルジャパンの社員第一号となる。
1993年アメリカ本社副社長に就任し兼務となる。
1997年、インテル株式会社代表取締役社長に就任。
2001年3月代表取締役会長を退任。
2001年7月傳田アソシエイツ株式会社設立、代表取締役に就任。

30年に及ぶインテルでの経験をもとにベンチャー育成及び投資、コンサルティング活動、また学生や企業幹部に向けて「ビジネスの起こし方」、「人生の生き方」、「リーダーシップ」、「インテルの経営手法」といった講義・ビジネスセミナーも多数行い、現在に至る。

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